こんにちは!マヨです!
私は、小さい頃から、「トライリンガルになりたい!」と思っていました。
思い返せば、小学生の頃にフランス語と中国語に手を出し、高校の時にドイツ語と韓国語に手を出していました(全て挫折したけどw)
純日本人で、全て公立の学校に行った私でしたが、大学の時に気づけばトライリンガルでした。
私の3つの言語のレベルは、
日本語=ネイティブ
英語=ビジネスで使用できるレベル
ヒンディー語=ペラペラ。ヒンディー語でYouTubeを作れるレベル
私は、日本育ち(しかもど田舎)で、両親とも日本人で、大学まで全部公立の学校でしたが、私はトライリンガル(日本語・英語・ヒンディー語)になれました。
トライリンガルになって思うことは、「人生がより楽しくなる」ってことです。
仕事のチャンス、旅の楽しみ、友達の幅、全てが増えました!
世の中には、バイリンガル、トライリンガルになりたいけど、
純日本人だし、お金もないし、無理〜、と諦めている人もいると思います。
そこで今回は、私が、どうやってトライリンガルになったのかを、語りたいと思います。
口から英語が出ない受験英語→ビジネス英語もペラペラ
高校までは全く話せない典型的な日本人だった
私は、高校まで、福岡で育ちました。
通学路は田んぼ道という典型的な田舎でした。
小学校・中学校・高校と全て公立の学校でした。
公立なので、当然、英語の先生は日本人で、文法ばかりを教えます。
かなり大量の課題をこなし、私は見事、「受験英語」をマスターし、大阪大学のヒンディー語専攻に現役で合格しました。
この時点で、私は、「難しい文法・英単語は暗記しているが、全く話せないし、リスニングも苦手」という典型的な日本人の英語力を身につけてしまいました。
インドに留学し、英語ネイティブの彼氏を持ち、急速に英語が得意になる。
大学では、英語の授業はほとんどなく、ネイティブの友達もできなかった為、相変わらずの「英語が口から出ない症候群」でした。しかし、インド留学が転機となりました。
もともと、専攻語のヒンディー語を磨くために、大学三年の後期から、インドに一年留学をしました。
インドは、授業料が一年で5万円、生活費も安いため、貧乏な私でも留学が可能でした(笑)
そこで、留学から1ヶ月も経たないうちに、インド人の彼氏ができました。
彼は、日本のインターナショナルスクールで育ったお坊ちゃんで、英語が綺麗なアメリカ英語でした。
これは、英語を上達させるチャンス!と思い、彼とは英語で会話することに決めました。
彼とは一年付き合っていたのですが、その間にすっかり英語が話せるようになりました(笑)
でも、みなさんが想像しているような「なんの苦もなく英語が身についた」訳ではありません。
まず、彼と付き合って、最初の頃に、「I am tired of listening your broken English(お前の下手な英語に嫌気がさした。)」と言われて、非常に悔しい思いをしました。一生懸命話していたのに、ここまで言われると、頭にきて、殺意さえも芽生えましたw
でも、これでお尻に火がつきました。
そこから、TVドラマを大量にシャドーイングする日々が始まりました。
「フレンズ」と言うドラマを、全ての英単語を調べながら、シャドーイングしました。
登場人物の発音を真似て、なんども口に出して発音の練習をしました。
フレンズのセリフは、かなり覚えました。
(5回くらいは見ました。1話30分で、1エピソード24話、10エピソードまであるので、240話×30分×5回です。恐ろしい量ですよねw)
また、ハリーポッターの英語の本を読みながら、わからない単語を調べたりもしていました。
そして、本やドラマから学んだ英語を彼氏相手に練習していました。
さらに幸運なことに、彼は文法や発音を逐一訂正してくる英語オタクだったので、私の文法と発音はかなり強制されました。
帰国前の3ヶ月は、インドの日本法人でインターンシップをしていました。
そこでは、基本的に英語が話されていたので、ビジネス英語にも触れることができました。
フレンズの日常会話と、ビジネス英語(特に英語の契約書)などは、全く難易度が異なり、苦戦しました。
帰国後も、英語力の維持に全力投球
帰国後は、インド人彼氏に振られたものの、日常的に英語に触れるようにしていました。
また、White CollorやSuitsといったより難易度の高いTVドラマのシャドーイングも開始しました。
朝起きてから、夜寝るまで、できる限り、ドラマを見続けました。
メイクするときも、ご飯を食べる時も、必ずドラマを見ていましたし、Netflixを契約してからは、外出中も常にドラマを聞き流していました。また、帰国後英語力の低下を避けるため、外国人も暮らしているシェアハウスに住んでいました。
英語が身についたワケ
こうした細かい努力のおかげで、私の英語力はかなりのレベルに達し、
現在は、外資系の会社で英語のみで仕事をするまでになりました。
以上が、私の英語習得の道のりです。
ポイントをおさらいすると、
①高校までで、文法と単語のマスターになっていた。(だが、会話はできなかった)
②ネイティブと付き合うことで、毎日会話の練習をする期間が1年間あったこと
③テレビドラマをシャドーイングしまくったこと。
この3つにより、私はビジネスレベルの英語力を身につけました。
この3つは、日本にいて、お金がなくても、そして何より幼少期からの英才教育が全くなくても実行可能です。
この中で、②は運や好みがあるので、誰でも実行できるわけではありません。しかし、現在では、「外国人と一緒にシェアハウス」といった場所がありますし、meetupなど外国人との出会いを簡単に見つけられるツールがあります。
また、italkiなど、オンラインで気軽にネイティブの先生のレッスンを低価格で受けることも可能です。
こういった機会を自分で掴みに行くと、日常のかなりの時間を英語での会話に切り替えることは可能です。
特に重要だったのは、①の文法と単語マスターになっていたことだと思います。
大人になってから、楽しんでテレビドラマを見たりシャドーイングをすることは、簡単です。しかし、圧倒的な基礎英語力は、繰り返し強制的に勉強しなければ身に付きません。この強制力は、やはり学校が一番です。
圧倒的な英語の基礎があったからこそ、「練習するだけ」で話せる英語が身についたのです。
世の中には、「受験英語は毒だ。受験英語では、話せるようにならない」と言う意見を言う人がいますが、私は違うと思います。受験英語を学習することで、その後、個人の必要に応じて好きなだけ英語力を伸ばせることができます。
以上が、「特権階級」でもない私が英語を身につけた経緯です。
専攻語としてヒンディー語を習得
前述した通り、私は大阪大学外国語学部ヒンディー語専攻に行きました。
また、休学してインドに1年留学したため、ヒンディー語は合計で5年間学習しました。
授業での文法&バイト先での会話=2年以内にペラペラに!
大学の授業では、高校の時と同様に、文法の授業が主でした。
ネイティブの先生の会話の授業もありましたが、あまり身になるものではありませんでした。(会話というより、詞の暗唱とか。。)そのため、私はまたも、文法マスターになりました。
しかし、文法マスターで終わらず、スピーキングを向上させるため、私は近くのインドカレー屋さんでバイトを始めました。
土日の12:00-15:00と18:000-21:00でシフトでしたので、休憩の3時間はインド人と雑談したりヒンディー語の授業の予習をしたりしていました。今思うと、週末ぷち留学でしたw
しかも、バイト中は、「どうしてもこれを今すぐ伝えないといけない」という場面が結構ありました。例えば、「卵アレルギーだから、この人の食事に絶対卵入れられないんだけど、大丈夫?」みたいな会話は、もはや誰かの命がかかった会話です。そういった重要な会話を急いで伝える練習を繰り返したので、急激にヒンディー語は上達しました。
授業での文法&バイト先での会話をきちんと身につけたので、大学2年生の半ばには、ヒンディー語がかなりペラペラになっていました。この時点では、なんと、英語よりもヒンディー語の方が、会話が得意でした。
インドに1年留学
その後、3年の半ばから、インドに留学しました。
インドでは、ヒンディー語の語学学校に入学しましたが、学校の質が低かったのであまり学校には行きませんでした。
その代わり、インド人の友達と遊び倒して、インドを満喫していました。
前述の通り、彼氏とはヒンディー語で会話していなかったのですが、それ以外の人とは基本的にヒンディー語で会話をするので、会話力に磨きをかけることができました。
こうして、私はヒンディー語を伸ばし、インド人に間違えられるまでになりました。
(インド人はヒンディー語母語でない人も上手にヒンディー語を話します。私はその「他の州から来たインド人」に間違えられていましたw)
帰国後は、インド映画やヒンディー語講座でヒンディー語を維持
帰国後、一番心配だったのは、ヒンディー語力の維持です。
一度覚えたら忘れないだろう、と思っていましたが、帰国後すぐに、ヒンディー語の衰えを感じました。
そのため、意識的にインド映画をたくさん見たり、インド人の友達と遊んだり、ヒンディー語講座をしたりして、ヒンディー語力の維持に勤めています。(今も、続けてます。)
トライリンガルは、維持が大変?
私がトライリンガルになった経緯をお話ししました。
トライリンガルになる上で、困ったことが2つありました。
1つ目は、2つの言語が頭の中で喧嘩することです。
ヒンディー語と英語がどちらも同じくらいのレベルだった時、ヒンディー語の単語を言いたいのに英単語が出て来たり、英単語を言いたいのにヒンディー語の単語が出て来たり、脳の中で単語同士が喧嘩していました。この問題は、ひたすら練習しているうちに、解消されました。トライリンガルは誰もが通る道だと思います。
2つ目は、1つの言語の習得に集中しすぎると、もう一つの言語を忘れることです。
インドから帰国して、ヒンディー語を使う機会が一気に減った時、私のヒンディー語はガタ落ちしました。
バイリンガルならば、母語じゃない方の言葉が1つしかない(または1つもない)ため、その1つの言語で映画を見たり友達と話したりしていれば、語学力をキープできます。
しかし、母語じゃない言葉が2つもあると、どちらもバランスよくキープするのは難しいです。こちらを攻略できるかどうかは、「いかに日常の中で努力して2つの言語の維持に時間を割くことができるか」だと思います。
まとめ:特権階級でなくてもトライリンガルにはなれる!
「特権階級」でない私が、どうしてトライリンガルになれたのか、ご紹介しました。
結局、語学は「努力」と「環境のチョイス」
でもつまりるところ、どうしてトライリンガルになれたかというと、
私が努力家だったからです(笑)
最後の最後に自慢かよwって感じですが、、、
結局語学は、努力しかないからです。
受験英語を必死で身につけたのも努力。
TVドラマをシャドーイングしまくったのも努力。
ヒンディー語を伸ばすためにバイトしたのも努力。
ヒンディー語のテスト前に必死こいて勉強したのも努力。
「特権階級」に生まれなかった人間は、努力するしかないんですよ。。。。
もう一つ大事なのが、環境のチョイスです。
ヒンディー語専攻を選んだチョイス。
留学先をインドしたチョイス。
インド人の彼氏をゲットしたチョイス。
アメリカ人の彼氏をナンパしたチョイス。
外国人も住むシェアハウスに住むというチョイス。
毎日TVドラマを見まくったチョイス。
これらのチョイスが積み重なって、語学を習得することができました。
なりたい自分から逆算して、「自分はどうすべきか」をきちんと考え、行動にうつしてください。
トライリンガルになりたいならば、なるための「チョイス」をしてください。
そうすれば、「特権階級」出なくても、語学を身に付けることはできますよ!
では、またね!